惰性で生きる時間こそ人生において大きな意味を持つ

惰性で生きることは自分の人生なのか?

惰性的に人生を生きることは、「自分の人生」を生きていると胸を張って言えるのだろうか??


実際のところ自分自身も毎日を惰性で生きてるように思います。

惰性で生きる。惰性で付き合ってる、惰性でそのままでいる・・・。

世の中では「惰性」で過ごすことを「よくないこと」と断定している人も多いですが。

個人的には「惰性」で過ごせることほど素晴らしいものもないとも考えています。

今回はそんな「惰性で生きること」に関して記事を書いてみました。

この記事でわかること

・「惰性で生きること」の素晴らしさ

・日々に張り合いがないことと惰性で過ごすことはイコールではない。

・「良い惰性」と「悪い惰性」

・惰性で生きたからこそわかること。

惰性で生きるって一体どういう事なのか?

前述しましたが世の中では「惰性で生きること」=「あまりいい状態ではない」という風潮があるのは事実だと思います。

惰性で生きてて何が楽しいの?もっと頑張りなよ

每日メリハリが合ったほうが楽しくない?

惰性で付き合う、惰性で過ごし続ける、そういうふうにはなりたくない

こんな話は情報を収集していると嫌でも見かけます、なんならYoutubeのコメントとかでも見ますね。

そもそも「惰性」ってどういうことなんでしょうか?調べてみると

今まで続いてきた習慣やクセ・勢い

とのことです。

「惰性で生きる」のニュアンスは「日々ダラダラと過ごすこと」というニュアンスがあるみたいです。

なるほど、確かに「日々を張り合いなくダラダラと過ごすこと」ならば、「惰性で生きる」ことはあまり良いこととは捉えられないかもしれませんね。

惰性で生きれる時間の素晴らしさ

しかし、個人的には「惰性で生きる」ことはあんまり悪いこととは思っていません。

というのも惰性で生きていることは「惰性で生きられる人生を送れている証明」だとも思うのです。

実際、自分自信も生活に余裕がなかったり、追い詰められている時はなんだかんだで必死に動いてきました。

もちろんその必死に動いている時も「生きている感覚」はあって、楽しいのも事実なのですが。

「惰性で生きれる時にはたっぷり惰性を感じることもありなんじゃないか?」

とも思うのです。

もちろん、人によっては

いや、実際全然余裕もないし、だけども何故か動けない、惰性でダラダラ過ごしちゃうんだ・・・

という悩みを抱えているのかもしれません。

この気持もわかるんですが。

「結局は心の奥底では活発に動きたいという欲望と同じくらい、怠惰に過ごしたい欲望がある」

のだと思うのです。

だとしたら「まだ少しでも余裕のあるうちに怠惰を味わっておく」のも一つの手じゃないでしょうか?

「ダラダラするのは何時でも出来る」とはいいますが

「必死こいて動くことも何時でも出来る」とも自分は思います。

良い惰性と悪い惰性

そして個人的に「惰性」には2種類あると考えています。

動きのない悪い惰性

1つ目の惰性はなんにも流れに乗らず、ただただ停滞している状況に留まるような「動きのない惰性」

この惰性に自分が乗っている自覚がある時は本当に少しずつでいいから「人生に動きをつけていく」ことが大事になります。

  • 外に出てなかったら、まずベランダに出てみる。次は外を3分散歩してみる。
  • 外食ばっかりだったら、スーパーの惣菜を食べてみる、焼きそばをセットの野菜と麺買って作ってみる。
  • 仕事だったら、いつもと違う道を歩いてみる。ほんの少しだけ誰かを手伝ってみる。

自分の周りに「動き」や「流れ」がないのですから、自分から動いて流れを作るしか有りません。

本当に最初は小さいことからでも、徐々に徐々に「惰性」に動きがついていきます。

動きのある良い惰性

2つ目の惰性は「動きがある」惰性です。

周りの人が明るいから明るくなってあちこち誘われて遊びに行ったり

色んな仕事を振ってくれるから、その仕事をやっていった先にまた出会いがあったり。

その人自身を取り巻く「動き」や「流れ」が明確に存在している「惰性」ですね。(慣性と言った方がいいかもです)

この惰性に乗っている場合は、特にそのまま惰性で過ごすことが大事だと想います。

もちろん努力はしているのでしょうが、それでも既に流れがあるのだから無理に加速したり減速したりする必要もないでしょう。

悪い惰性の日々を変える方法

昔、自分が参加していたコミュニティでこんな投稿が流れてきたことが有りました。

=======================

『惰性の日々を変える方法』

今日ですが、ふと思ったので惰性の日々を変える方法をシェアしようかなと。

なかなか人は忙しいものです。
育児だったり仕事だったり、友人関係や、ほかのことでやることがあったり
まぁいろいろとあるよなーと。

日々を生きることに集中してると
意外と時間が作れず、惰性の日々を過ごしてしまいがちです。

しかし、現実問題として
同じ一日を過ごしていたら、同じ明日が来るだけです。

一日を同じ様に過ごして
明日を同じ様に過ごして
明後日を同じ様に過ごして

一ヶ月後も変わらず過ごして
3ヶ月後も変わらず生きて

半年後も、一年後も大きく変わること無い日々を過ごしている。

人って凄いんですよ。
色々と不安を覚えていようが、
大抵の人は同じ日々を過ごす能力を持っているんです。

運が悪かったり、本当に何が起きるかわからない人には
たまーに衝撃の出来事はありますし

それで人生が激変する人もいるにはいるんですが
車に引かれるのと同じようなもの。

それはありえないわけではないんだけども、
確率的にその出来事が自分の起きる可能性は少ないのが事実です。

基本的に既定路線は変わりません。

世の中の8割の人が一年後、
変わらない生活水準、友人関係、生活リズムで生きているでしょう。

んで、個人的にはそれが悪い事とも思いません。

よほど今の生活が嫌だったり
抜け出したい場所にいるのならば別ですが

今の自分自身を幸せと言える環境にあるならば
そこから抜け出したいモチベーションも上がらないのは当然のことでしょう。
(むしろ、いま幸せなのは良いことなんですから)

ただ、根本的に思うこととしては

今と同じ、明日を生きて
明日と同じ明後日を生きて

今日と同じ一ヶ月後を過ごして
既定路線の数年後を歩み、惰性で生き続けることは

『「自分の人生」と言えるのだろうか??』

ってことです。

先程言ったとおり、これが悪いこととは思わないです。
だから別にそういう人生を歩む人を見下すつもりも一切ない。

実際の所、足掻いた・より上昇を目指した結果として
結局既定路線の人生を生きていて、それに満足することになった。

のならばいいと思うんですが

最初から、ぼけーっと過ごして、なんとなくで生きてきて、
「あぁ、それが人生だよな、よかったな」

っていうのは満足じゃなくて妥協なんですよ。


せっかく〇〇に入ったのだから

自分は妥協じゃなくて満足の行く人生を歩みたい。

あなたもそうであってほしいと思っています。

==================

・・・・と。

明らかに「惰性で生きる」=「悪」の感じが漂っている文章ですが笑

学べる部分は確かにあって

先程話した「なにかしらの小さい一歩」をやって、惰性の流れを変えてみること。

これが「悪い惰性」から「良い惰性」に乗るための方法なんじゃないかなーと思うのです。

惰性で生きたからこそわかることも多い

そんなわけで結論にはなりますが

  • ・惰性で生きることは必ずしも悪とは言えない
  • ・惰性の中にも良い惰性と悪い惰性がある
  • ・悪い惰性から良い惰性に乗るには「動き」や「流れ」を自分からつくるのが大事
  • ・それは本当に小さいことからで大丈夫。

ということが、この記事で伝えたかった内容になります。

特に「惰性で生きることに意味はない」っていう意見に対しては一理はあるけども、総合的にはNoを述べたいなと思ってまして。

自分自信「惰性で生きたことがあるから時間の大切さや、人の弱さにも気づけた」側面は多いんですよね。

「自分の人生を楽しみたい」と考えている人は多いと思いますが、その人達の全てが

每日自分の行動を律して

每日欲望に流されず

毎日未来を信じてひたすらに猛進できているわけではありません。そんな人って多くはないんだろうなーと。

むしろ惰性で生きたことがあることが、多くの人に寄り添える心を作ったり、人の気持ちを理解する一助にもなると思います。

ヒカルの碁の好きな言葉

「惰性に生きるなんて最低!駄目だよ!」

というよりも

「惰性で生きた時間が今の誇れる自分を作ってくれた」

と言える気持ちで日頃から生きていたいなーと思いますね。

似たような記事はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です