どうも、トニーっす。
昔会社を経営していた頃、No2という立ち位置もあり「社長の言うことは素直に聞くけども、自分の言うことは全然聞いてくれない」というジレンマを抱えていたことがあった。
例えば、メディアの運営を任せていた社員に対して、「この部分の数字とこの部分の数字の相関関係を見て、改善するための方法案を出すことが大事なんじゃない?」
と俺が伝えたら社員は「それはわかってるんですが・・・」という顔をした。
その時は俺がちゃんと伝えきれてないのかな、問題点は別にあるのかな?と考えた。
その次の日、社長がオフィスにやってきて「この部分の数字とこの部分の数字の相関関係を見て、改善するための方法案を出すことが大事なんじゃない?」
と社長が伝えたら、社員は「確かに!!目から鱗が落ちました!!」という反応で話を聞きいり、その後改善のための行動に移りだした。
それを傍目で見ていた俺はそれはもう絶望的な心境だった。
顔色自体は無表情を装っていたが、心境はもうわけわけめだ。だってどう考えても社長と俺が話していたことはまったくもって同じこと。だったからだ。
伝え方が悪いとか、聞き方が悪かったとかそういう所に違いがあったのか?といわれればそれは確かにあっただろう。
ただ、今思うと、あの問題はそういう短絡的なコミュニケーションの問題ではなかったと考えている。
一番の問題点を振り返ると、あのときの俺は社員にとって
「社長の劣化コピー」にしか思われていなかったのだ。
結局は自分自身の実力不足っていう答えには代わりはないんだが、そもそもとして自分自身の立ち位置を明確に築けてなかったこと。社員とのコミュニケーションが圧倒的に不足していたというのが問題だったと認識している。
ある意味では「戦う前から勝負に負けていた」のだ。
今となって会社を辞めてフリーで動くようにもなり、そういう「劣化コピー」として見られるようなことは一切なくなったとも感じているが。
別に会社に勤めている、勤めていないなどを関係なく。
「誰かの劣化コピー」になっていないか?という点に関して悩む人は多いのではないか??
と考えている。
今回はそんなことに悩んでいた過去の自分に対して
「誰かの劣化コピー」にならないためには?という話を残しておこうと思う。
もし君が「劣化コピー」という言葉に反応してしまうのならば、一つ参考にしていってくれれば幸いだ。
劣化コピーは結果に執着する心から生み出される。
言ってしまえばやり方、方法論に固執するやりかたから、劣化コピーは生まれてしまう。
多くの人は何かしらを行う時、当然ながら結果を出したいと考える。
お金を稼ぎたい。多くの人に見られたい。うまく相手に動いてもらいたい。少なくとも何かしらの結果を出したい。
そう思った上での行動として、これをやればうまくいく、そういう方法論にとらわれて結果を出せるかどうか??を考えてしまう。
結局の所結果が出るかどうか?というのはやってみなければわからないが、よくよく考えてみたりデータを取ればある程度の推測はつくものなんだ。
例えば、何かしら新しい企画を打つにしても、事前に反応を見たり、話を聞いたりすることである程度、誰が何人反応するのか??はわかるはずだ。
ただ、結果に執着して視野が狭まっている状態の人は実際にその行動を取ることでうまくいくのか??という目線に立てず、ただ誰かのマネをする。という形に走ってしまう。
確かに結果を出すためには、一時期は誰かのコピーになるのは当然のことなのだろう。劣化コピーになること自体は何も問題ではない。
大切なのはそれで「結果を出すということ」だし、劣化コピーを行うにしても結果が出る土台が整っているのか??を見るのは何よりも大切なことなんだ。
結局「自分自身で考える思考力」がないと誰かの真似をしても意味がないんだよ。
「自分自身で考えて誰かの模倣をしているのか?」
思考放棄をせず、「その模倣を行うことでどのような結果になるのか?」を趣味レーションした上で模倣をしているのか?
っていうのは【結果を出すため】には重要になってくる。
ただ誰かが上手く行ったから、そういった例を見つけたから、という理由で脳死状態で誰かの模倣をしている人は気付かれるし、そういう人の発信からはエネルギーを感じなくなる。
人は自分の意志がない人に魅力を感じないし、尊敬の念を払うことが出来ない。
そういう行動をしていると、結局はこの人は誰かの真似をしているだけだな。と思われて終わりだ。本人としては自分なりに考えているのかもしれないが
大事なのは「本人が自分なりに考えているか?」ではなくて
「本人が自分なりに考えている、と見えるかどうか??」だ。
自分の意志が存在しない。と思われた瞬間から、人はその人の元から離れていく。
当然、自分自身の意志がない人などは存在しない、それは君もそうだろうし、きっと過去の俺自身もそうだった。
しかし、過去の俺に関してはその「相手にとってどう見られるか?どう思うか?」という視点が薄く、「何を伝えたらいいか?」「どうやって接したらいいか?」という方法論にとらわれてしまう横着をしていたことは事実だ。
結果として、俺自身は「誰かの劣化コピー」としか思われず、その時期は仕事の状況も円滑に進まないという負の連鎖を起こしてしまった。
誰かの劣化コピーになりたくないのならば、自分の為に生きるしか無い。
当然ながら、誰かの劣化コピーとして生きたい!!という人は少ないだろう。
少なくとも、このブログを見ている人にはそういった人は少ないと思っている。
じゃあ実際にどうやったら「人の劣化コピーの存在」にならなくて済むのか?自分自身という存在を確立できるのか??
これに関しては結論は出ていて、俺としては「誰かの劣化コピーになりたくないのならば、自分のために生きるしか無い」と考えている。
自分の為に生きるっていうのは、完全に相手基準ではなくて自分の基準で全ての行動基準を判断する。ということだ。
なにか話しかける際にも、まずは自分がされたら嫌なことはやらない。自分自身が嬉しいと思うことをやってあげる。
仕事をするにしても自分自身がやりたいと思う仕事や、嬉しいと思う仕事はなにか?何をされたら嬉しいか??を考える。
ご飯に連れて行くときも、服を買うときも、本を読むときも、誰か人と話すときも、すべての基準を「自分がされたらどう思うか??」というだけで考えるんだ。
こういうと「自分がされたら嬉しいことでも、相手にとっては嬉しくないことがあるかもしれないですよね?それは考えないで良いんですか?」
と思う人がいるが、まさしく元凶はその思考だ。
確かに人の性格なんて千差万別で、喜ぶことも嫌なことも人によっては違う。
だけどもそもそも千差万別の人間それぞれに全て合わせた行動を取ろうとする時点で、大抵の人によってはキャパオーバーの行動にしかならないんだ。
そもそも全ての人に対して柔軟に対応するっていう時点で、凄まじい能力値やコミュニケーション能力、経験が必要になるんだよ。
相手に合わせようとする考えは立派だし、合わせることが大事なのは確かなんだが、それは明確な自分の軸があり、経験があった上での話だ。
「自分だったらどうなのか?」という明確な軸がない状態で人に合わせた所で、ただの八方美人、中身のないイエスマンしか生まれない。
仮に誰かのマネをするとしても「自分だったらどうなのか??」を考えていれば自ずと真似の中にでも個性は生まれてくる。
先程言ったとおりで、人の性格なんて千差万別だからだ。完全に同じになることは殆どない。
少しとりとめもない話にはなったが、とりあえず誰かの劣化コピーになりたくないというのならば
「自分は何をしたいのか?自分だったらどうなのか??」
を徹底的に考えることがまず大事だ。
自分の軸もない状態で思考も回さずで適当に誰かのマネをしたところで、劣化コピーにしかなりえない。
確かに真似をするのは大切だ、むしろ商売においては結果を出ている人をトレースすることから全ては始まる。しかし、そこに思考は挟むようにしよう。
特に情報を発信する立場ならば、相手は唯一無二のあなたを求めているんだ。
「あなた」の発信を求めているんだよ。
自分のために生きるとなるとそもそも自分が何をしたいのか??を徹底的に考えることになる。
やらないといけないことはなにか?やりたいことはなにか?そのために必死に考えることになる。時には、それがぶれそうになるときもある。
ただ、それでも考え続けることだ。そうやって自分が納得行く行動を積み重ねていくことによって、自分自身が出てきて個性が発揮されるようになる。
そうして自分なりの考え方で動けるようになった時に、人はきっと「誰かの劣化コピー」とは思われなくなるし、自分自身もそう思わないようになっていくんだ。
そう簡単に個性ってのは出てくるものではないけども、考え抜いてやってみるといい。