こんにちは。トニーです。
今回は人生って生きづらいなーと思う人に向けた話。
世の中の人間がゴミ人間だらけに見えた時の話。
自分のことを特別と思ったことは特になく、どちらかと言うと自分は「変人」と言われるタイプよりも「一般人」と言われるタイプだろうなぁ。
なんてことを思って生きてきているのですが、ふと「あれ?やっぱり俺がずれているのかな?」なんてことを思ってきた経験があります。
それは会社員になってみて「組織とはこういうものですよ。こんな事もできないとか、30まで何してたんですか?」的なことを急に言われたり。
それを聞いてた上司が「まぁそれが組織だよ」と一切共感してくれなかったり。
「ああ、俺がやっぱり一般人的な感覚で生きてないんだなー」と思うことが多々有りました。
その時を振り返る度に「あぁ、俺はこういう人間で良かったな」と思うのですが。
それがどんなときか?っていうと
「人としての誠実さや真面目さ」が自分の中には有ると感じられた時です。
「イジり」の意図がわからなかった中学時代
子供の頃の話にはなりますが、僕は子供の頃は「相手のことを貶めて場の空気を笑わせる。」
いわゆる「イジり」の意味が全くわかりませんでした。
小学校時代にことわざをまとめた4コマ漫画をよく読んでいた僕が好きだった言葉は「因果応報」
良いことをすれば良いことが返ってきて、悪い事をすれば悪い事が降り掛かってくる。
サンタの存在を小学5年生まではある程度信じていた純真無垢(親から今年のプレゼント何にする?と言われて「あ、やっぱ親だったのか」と気がついた位)の僕からすれば、そのことわざは一つ自分の中で大切にしている言葉では有りました。
そんな中、中学生になり、バスケ部に入った僕は最初の頃は普通だったものの段々といわゆる「イケてるグループの代表格」みたいなやつからやたらイジられるようになります。
いまでこそ多少イジりの理由もわかるようにはなりましたが、当時の僕からしたら疑問では有りませんでした。
「なんでこいつは俺が何もしてないのに、俺のことを攻撃してくるんだろう」
真剣にそんな事を思ってました。
まぁ今思えばそれが楽しかったからやっていた。というだけの話でしか無いんですよね。キングコングの西野さんも話していましたが「いじめが無くならないのは、それが娯楽になっているから」という言葉は事実だろうなぁと思います。
そんな時、頭に浮かぶのは「因果応報」という言葉でした。
良いことをすれば良いことが、悪い事をすれば悪い事が降り掛かってくる。
「いつか相手にも悪い事が降り掛かってくるはずだ」
そう思って、毎日顔を合わせてはイジってくるそいつの言動に耐え続けていました。
そして暫く経つとどうでしょう。
特にそいつに天罰が当たるわけでもなく、僕に対するイジりは段々と過激度が増していきました。
といっても実際当時の記憶はあまり残ってなくて、なんてイジられたか?っていうのも今の僕の記憶には残ってません。
ただ、明らかにイジりがヒートアップしていって、僕自身の心も限界を迎えていったのは覚えてます。
「家族や母親のことを口にした瞬間、マジぶち切れてやる」
そう思って、耐えてる日々が数日続きました。今思うと結局は自分の事で怒りたくないヘタレ心がありましたね。
結果的には、数日間、イジりが続いたある日、僕がブチギレて、追いかけ回したら、その日以降綺麗にイジりはなくなりました。
当人も悪いとそれで思ったみたいで、後から謝ってこられました。
僕としては謝ればそれでOKなので、その後は特に何事もなく中学校生活を終えましたが。
普通になんでこういう事をするやつがいるんだろうなぁ。
ってことは中学生ながらに疑問に思ってました。
初めて接した社会人は礼儀すら知らないゴミ人間だった。
そんなこんなで色々あって、僕も大学生になり、ふとした拍子に借金をして、何故かあっという間にビジネスの世界にどっぷりと浸かっておりました。
当時は22歳。
大学を休学してビジネスに打ち込んでいた時の話です。
その時の僕がやっていたことが「完全歩合制の情報商材の営業マン」
早い話がコンサルを受けてて、そのコンサルの内容が僕も好きで結果もある程度出せたのでそれを紹介する営業を始めたのでした。
で、初めて数日目で事件は起きます。
当時やっていた営業スタイルが、mixiでアポイントを取り、カフェで相手の話を聞いてニーズがあればアドバイザーへお繋ぎする仕事。
つまるところ、上司(みたいな人)につなぐのが仕事だったんですが。
僕は繋げればいいだろーってことで当時の上司のことを「大丈夫っすよ、実際ポテチ食べてるデブですからw」みたいな冗談交じりで話していたんです。
で、その日のアポイントが終わり事務所に戻った所、事務所の空気が騒然としてまして。
どうやら僕がその日話した相手が、僕がいた会社の別の営業マンとも話していて、その時に「トニーさんが上司の方をポテチ食べてるデブって言ってましたよw」と話を聞いたようなのです。
多分その人も冗談でいったんでしょうが、僕が着いた時の事務所は騒然としていて「いやいや、そんなこと言っちゃまずいでしょ」みたいな雰囲気が充満してました。
まぁ営業も始めたばかりですし、冗談って言ったことくらいわかるでしょ。と思っていた僕は特に気にせず家に帰ったのですが、その時当時の先輩営業マンから連絡が届きました。
「話を聞いたけど、さすがにポテチ食べてるデブはまずいと思うよー」
と。
で、その時に確かに話しづてで聞いたら不快な気持ちになってしまうかもな。冗談ってのがわかってても不快な気分にさせるのは良くないよな。と思ったので
「確かに僕の言葉が良くなかったです。お伝えいただきありがとうございました」
とお礼のチャットをその人に送ったんです。
気づかせてくれてありがとうございます。
と。
そして、その後の返信は、タメ口で超高圧的に、僕のことを駄目出しする返信が届きました。
これまた内容はすでに覚えてないんですが(嫌なことは完全に記憶から消去する機能が脳みそにあるみたいです)とりあえず、タメ口だったことは覚えてます。
で、僕もその返信に対して、ひとまず謝ったんですが。
ほぼほぼ初対面の相手に対していい大人が、年下だろうが敬語も使えないで高圧的に接してくるってマジこいつゴミ人間だな。
と強く思ったのを覚えてます。
今思うとその人も後輩に舐められないように言われていて、指導に当たる立場だから牽制を入れようと思ったこともわからなくはありません。
別に今は関わってないですし、その人も幸せに暮らしているようで何よりですが。
タメ語を急に使ったことに対して謝られてないんで、ぶっちゃけ僕はその人の事は7年経った今でも嫌いなんですよね。
(まぁ好きになることはないよね。)
とはいえ、本人もそんな事忘れてると思いますし、多分一生涯関わることは有りません。
そして嫌いではありますが、この経験をくれた感謝はしているので「良い経験をくれてありがとう」とも思ってます。
もう会わない嫌いな人にエネルギー使うのも馬鹿らしいですからね。
※「ポテチ食ったデブ」と言った当人にはまた別日に謝っておきました。
Twitterの有料noteを出した時に、リテラシーの低さに驚愕を受けた話。
そして更に時は流れて、1年ほど前の話。
僕がTwitterを始めて、ある程度してから有料noteを出した時の話ですね。
実はこの時、僕一度Twitterを辞めかけてるんですよ。
今思えば僕が周りに期待しすぎてた、普通に考えも浅かったし未熟だった。ってだけの話なんですが、一番のミスは「相手への関わり方をミスってたな」と。
というのも、初めての有料noteは僕も出すときには気合を入れまくりました。
「そもそも再現性100%なんてものは存在しないし、タイプによるし、もっと本質的な部分を知って貰ったほうがためになるから、ノウハウ論じゃなくて行動録にしよう。」とか
「いわゆる文庫本が1000円ちょいで買えるんだ。それと遜色ない位の価値体験と内容を詰め込むにはただの行動録だけじゃなくて音声もつけよう」とか。
「有料のものを出すってことは出版と同じだ。いま現段階関わっている人には無料で原本を渡して、ノウハウを共有すると同時に販促協力もしてもらおう」とか。
結果的には文字数は25,000文字数オーバー。
質問回答音声も30分付き
値段は1,000円
自分がやってきた全ての行動を網羅したTwitterの本質的な部分をお伝えできる汎用性のあるnote。を作成できたんです。
おっしゃー!これなら売れるし多くの人の役に立つぞー!!
とおもって、実際にnoteを販売した結果・・・。
僕が出した有料noteは最終的には50部しか販売出来ませんでした。
見方によってはTwitter始めて1ヶ月くらいで5万円近く収益上げたんじゃん!!すげーよ!!って思われるかもしれませんが、僕としてはこれは失敗でしたね。
自分自身としては数百部くらい売れるだろうーと思って出したものが予想の10分の1以下しか売れなかったのは読み間違えたなーと。
でも、それは正直いいんです。売上額も結果も大事だけどもそれは力不足ってだけだから。ただ、その結果に至るまでの過程でショックを受けてましたね。
まず僕が「ん?」と疑問を覚えたのは「応援RTしますね!!」って言葉。
・・・・・・
・・・・・・・・・・・
いや、応援RTってなんだよ。買えよ笑
普通に今までリプくれたりしてツイートで「稼ぎたいです!」「影響力高めたいです!」「参考にします!!」とか言っている人が何十名かそんな感じで買わずにRTしていたので、それは萎えました。
「結果的には拡散されるわけだし、なにもされないよりかいいじゃん」
って思うかもしれないし、確かにそのとおりなんですけどね。
それでもぶっちゃけたところ
1000円も出せないような基準値で稼ぎたいとか今までほざいてきてるんじゃねぇ。てかそんな気持ちレベルで俺に対して「稼ぎたいです」とか言葉を吐くんじゃねぇ。
ってのが正直な気持ちですよね。だって僕だったら無条件で買うもん。
(てか中身見ず拡散ってクリエイターに失礼とか思わないのかな?)
他にも原本渡した当時影響力がありそうな人が買ってない。ってのも結構萎えました。僕はその人達のnote買ったりとか拡散に協力してたりしてたんで。
「見返りありきで勝手に行動して、勝手に傷ついてるだけだろ?」
と言われたらそのとおりなんですが、これまた僕が逆の立場だったら絶対に買うんですよね。
だって1000円で相手が喜んでくれる可能性がある。そして相手が先々伸びる可能性がある。
ならば、仮に内容読まないとしても僕だったら買うんです。
(つーか自分が紹介するんだったら1000円くらいだったら内容見て、自分の言葉で紹介するのって当たり前だろ。って発信者ならば思うんですけどね。)
そんでその時買わない人ほど「再現性100%!」「誰でも出来る方法!」とかに2000〜5000円で飛びついて、そこらのネットに調べたら転がってる方法見て「凄いです!!買ってよかった!!」とか言ってて、数カ月後経過して、大して変化ないんですもん。
え、何この地獄。心腐るんだけど。
とかめっちゃ考えてました。
そんなこんなで有料noteを出した後、「もうTwitter意味ねーな。動かねーやつばかりだし発信する意味ねーよな」
と普通にTwitterを辞めて別のことをやろうと思ってました。
とはいえ、即断で買ってくださった方や原本を見た上でも買って感想述べてくれた方も居た為、そういった人にはより全力を尽くそう。と思ってやってましたね。
(だからこの人達がいてくれたことは結構心の救いでもありました。)
結果的にサロン開いたり、電子書籍を書いた後は経営者さんや事業家さんからSNS運用の話をいただくことにもなったので、続けてきて本当に良かったなと今だから思えてます。
闇の無限ループは底なし沼のように深い
今更なんでこんな事書いたの?と聞かれるかもしれないですが、もう少々お付き合いください。次の章でその話はしていきますね。
で、結局これらの出来事が起きた原因が
自分の力不足、実力不足、行動力不足、選択のミスっていうのは重々承知の上なんですよ。
中学生自体のイジりだって、その場はうまくノッた上で、後でちゃんと話し合う時間設けて「正直やめて欲しい、なんでそういうことやるんだ?」と話し合えば解決できたかもしれない。
敬語の問題だって、その後その問題に触れなかったけども、時間有る時に一対一で話してその件に関して話し合えばよいだけだったかもしれない。
Twitterだってそもそもマーケティング力不足で、稼ぎたい系の人を集めたらリテラシーが低いことを織り込み済みで淡々とやればよかったのかもしれない。
むしろ稼ぐだけならば、当時より影響力の高い人にごますりまくって、取り上げてもらって、「再現性200%のTwitterノウハウ!」とか言って大きく宣伝してもらえば数は売れたのは間違いない。
てかそもそもそういった層にアプローチするならば、動かない人前提でやっていかないといけない。
そういった側面は見つめつつですよね。
マジで動かない人と義理通さない人とリテラシー低い人が多すぎないか?
っていうのはTwitterやってて電子書籍出すまでは何度か思い続けてました。
そしてそういう人ほど耳障りのいい言葉に寄っていく。
中身のない雑魚がレベルが低い人を食べる闇の無限ループが出来上がっていく。
そんな側面を見つめて思考を回していると、「あ、やばいこれどんどん落ち込んで戻ってこれなくなるやつだ」ってふと思ったんですよね。
別に業界を変えたいとは思わないけども、ずーっとそれで世界が回るならば俺やることねーじゃん。的な。
そこからは視点を変えて「出来ることをやろう」「いうて買ってくれた人もいるわけだからその人達に全力尽くそう!」と思って奮起したんですが。
頭の良い人ほど、生きづらい世界は確かに世の中に存在している。
で、なんでこんな事を書いたのか??っていうと。
なんかその時の感情を昨日の夜寝る時に頭に思い返してまして
「僕よりも頭の良い人はこんな事ずっと考えて絶望する人もいるのかな?」
ふと思ったんですよね。
僕もよく物事を考える方ではあるとは思うんですが、いうて僕、基本的にはすげー楽観的なんですよ。
前述の通り嫌なことがあったら詳細は気づいたら忘れてるし、その時その時では結構落ち込んだりするんですけども時間が経つと「でもどうにかなるっしょ」って思うような思考回路になってます。
でも本当に頭が回る人とか、思考が深い人ってこういうところを見たらめっちゃネガティブ入って抜け出せなくなる人もいるんじゃないかなと。
んで、もしそういう考えを持ちそうな人、落ちている人がいるとしたら伝えたいことが
「その考えは絶対間違ってないぞ」
「自分が感謝できる行動を常にしていくことが大事だぞ」
という2点なんですよね。
関わる人を尊敬して感謝できる人に変えるだけで世界は明るく広く広がっていく。
前提として、過去の僕自身の絶望は、僕自身が招いたものだし、未熟で考えが浅かったから勝手に回りに期待して勝手に絶望しただけ。
ってのはもうそのとおりなんですが。
それでも正直にあの時情報を提供しようとしていた大半の人達はリテラシーがまだ低い人たちだったのは確かだよな。って思ってます。
(悪い人って意味じゃないです。ビジネスレベル的に見たらまだまだな人たちという意味です。)
言ってしまえば「絶望したのは100%俺が悪いけど、相手のレベルが低いってことは事実だよね」って解釈です。
だって、僕だったら有料note普通に買いますもんw
あの時の一番のミスがそもそも自分が無理に視点を落として価値を提供しようとしていたことだな。とも思ったんです。
純粋に視点があまりにかけ離れている人同士で関わるのって、自分のためにも相手のためにもならないんですよ。
どっちからしても相手の言ってることが理解できなくてストレスになるんです。
ならどうしたらいいか??
答えは決まってます。自分が関わりたいと思う人とのみ関わるようにすること。
です。
もちろん、それには自分自身の実際の実力も必要です。
結局の所自分の所によってくる人間レベルは、自分の人間レベルに比例する。っていうのは事実なので、常に自分を高めようとすること。
そして、今、自分の周りいる人達を大切にすることは忘れてはいけません。
だけども、本当に自分が関わっていきたい人たちはどんな人か?
切磋琢磨していきたい人たちはどんな人か?
これを考えて、しっかりとアプローチが出来るような流れを作ることが何よりも重要です。
結局、愚痴を言ってたって現実は変わらないし、世界は変わらないし自分が出来ると思うことをやり続けることしか無いんですよ。
ただ、そんな事をTwitterを始めてから10ヶ月間続けていったら、ボク個人としてはありがたいことに多少なりブログを見てくれる方も増えましたし、電子書籍を参考に活動してくださる方もいますし。
本気で自分の人生を良くしようと、僕よりもよほど聡明で、活動的な人たちとも出会うことが出来ました。
世界は広いですし、SNSが広まった現在。自分よりも頭の良い人や経験が豊富な人とはいくらでも繋がれるような時代です。
そんな中で、折角頭が良いのに くすぶってるのはすげーもったいないぞ。
もし自分に実力があること、いい人だという自負があるのならばなによりもまず自分自身で「関わりたい人と関わってみる事」で大きく世界は変わるもんだぞ。
ってことが伝わってくれればと思ってます。
僕自身はそこまで不幸な経験もしてきてないですし、正直本当に頭の良い人の考えがわかるのか?っていうほど自分自身が頭がいい人間だとも思ってはいません。
ただ、多少なり繊細で、多少なり優秀と言われることも多くて、だけども上には上がいることを知ってると、なんとなく思うんですよね。
「あぁ、やっぱり俺は俺のような人が生きやすい社会を作る為にも、自分自身の影響力を高めていこう」って。
それで誰かが喜んで、一番自分自身の為になれば最高だよなって考えてます。
僕自身も一歩一歩進まないといけないんで、行動あるのみですね。
ではでは、今日はこんなところで。
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