生きる意味がわからなかった大学生の自分へ

生きる意味がわからない大学生

2020年もあと2ヶ月間となった。

仕事をする時には朝ごはんを食べてからカフェに来て作業をするのだけども、こういう、作業をする気になれなくて物思いに耽りたいときがたまーにある。

思い出していたのは、過去のこと。

今年はフリーとして生きれるだけの目処も立てて、色々とこれからの人生計画も考えてはいたのだけども、ふと「過去の大学生時代の自分が今の自分を見た時に理想の自分になれているのか?」と考えた。

僕も後一ヶ月で30だ。一つの区切りを迎える前に、今の自分の考え方や過去の自分の考え方を見やすい形でまとめておこうと思う。

大学生時代は生きる意味がわからなかった

僕がいわゆる「普通」の道を踏み外したのは大学三年生の頃だった。

当時の僕はとりあえず大学に行き、とりあえずバイトをして、とりあえず生きるような生活。このままきっと就職活動をして、就職して結婚して子供作って死ぬのかなぁーなんてそんなことを思っていた。

生きる意味がわからないことに絶望はしていなかったけど、なんで皆生きるのだろう?多分それって死にたくないからだよなぁなんて達観したつもりに鳴っていた。

そしてそんな僕に転機が訪れたのは、大学三年生の6月頃。

いつものメンバーで大学からの帰り道にファミレスに寄った時に、いつも馬鹿やっている友達が「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んでいたのがきっかけだった。それまで活字本を知らなかったし、そいつがそもそもそんな分厚い本を読むようなやつじゃないことを知っていたので気になってプロローグだけ読ませてもらった。

その時に頭の中に稲妻のような衝撃が走った。

今思えば、あの本はそういう「モラトリアム期間」の人には突き刺さるような本になっていたんだと思う。その帰り道に同じ本を速攻で買って家で読み漁り、投資の道に入っていくまでは、一ヶ月もかからなかった。

結果としてはその当時の投資は上手くいかず、借金を抱えた僕は色んなビジネスに手を出し、大学も中退し、流れで起業に関わることになって、辞めて今に至るわけだけども。

「生きる意味がわからない」

「自分が何故生きていくのかがわからない」

そんなことを、大学生時代はずーっと心のなかで思っていたのかも知れない。

「皆と同じが嫌だ」という皆と同じセリフ

「皆と同じが嫌だ」

そんなことを、当時の僕は多少なり思っていたように思う。

結局はこのまま就活してそれなりに出世して結婚して子供を作って生きていく。そうやって生活を送った後は死ぬ。

当時の僕はコレがみーーーんな同じことに意味があるのかな?なんて感じてしまっていた。でもそういうものなんだろうなと。一部の人は変わった人生を歩むかも知れないし、多少の誤差はあるのかも知れない、だけども大抵の人はそうやって生きていくんだろうなと。

そのことに対して、絶対に嫌だ!という強い意志はなかったけども、もし歩めるのならば自分自身としての人生を歩みたいな。と考えていたのかも知れない。

ビジネスの世界で10年間生きてみて

そんなことをボーッと考えている人生が変わり、借金を抱えたり、研究室が嫌で蕁麻疹出したり、親から大目玉食らってバイト漬けになる経験をした後に大学を中退した僕は、紆余曲折を経て今は29歳になった。

結婚もしたし、子供もいる。個人事業主としてまぁまぁ必死になりながら今を生きている。自分が良いと思う家にも住んでて、友人もそれなりにいる。体も鍛えてオシャレやら体型・姿勢にも気をつけ始めた。

そんな今から、過去僕が思っていたことを振り返った時に率直に思うことは「なんにもわかってない子供が微笑ましいことをいっていたんだなぁ」ということだ。

就職して(結局しなかったけど)、出世して、結婚して、子供が生まれて、生きて死ぬ。

この人生だって人によって千差万別だ。そしてその際に起こる一つ一つの出来事はその人しか味わえないもので、その時に生まれた感情は紛れもなく当人の人生だ。達観したつもりになって味わえるものとかでは断じて無い。

頑張っているのに上手くいかずにつらすぎて心がぶっ壊れそうになった時の心の痛みは想像で味わえるものじゃない。

動いてきて結果が出て、周りの人が笑ってて報われたような気がした時に涙流して喜びたくなる気持ちは、そのときにしか味わえない。

食事の美味しさ、景色の綺麗さ、理不尽に対する怒り、人と仲良くなれた時の嬉しさ。そういったものは大学生の時の自分だって多少なり味わってきたはずだ。

「なんでもいいからゲームだろうが遊びだろうがスポーツでも勉強でも、なんでもいいから本気になってやってみやがれ!!」ということは上手く伝えたいなと思うかも知れない。

生きる意味は今ここに見いだせればそれでいい

人はどうせ死ぬ。それは事実だし、どうやっても現段階の技術では避けることは出来ないことだと思う。だけども、考えたい人は別にして、そんな先の死のことなんて無理に考えずに、目の前の人生に集中した方が大抵の人にとっては得が多いんじゃないかとも思う。

人生をかけてやりたいことなんて、まだ僕には見つかってない。

だけども生きたい、かっこよくなりたい、家族を幸せにしたい、やるならば結果を出したい、強くなりたい、目一杯楽しみたい。とは純粋に思う。

その結果が「就職して、出世して、結婚して、子供が生まれて、生きて死ぬ。」に当てはまっているかどうかなんて今はどうだっていい。だってその際に感じる感情は自分自身のもので皆と同じじゃないし、自分が満足できる人生を歩めればそれが最も重要なんだから。

大学1,2年と3年の前半の2年間とちょっとの時間は本当にもったいなかった。

大学生の時の自分が自分なりに色々考えていたことは事実だし、それは否定はしないけども、達観したつもりになり世界を冷めた目で見るのではなくて、何でも良いから「今ここの人生」に集中していればよりよかったのにな。と今になって思う。

結局、その方が楽しいし、経験にもなるし、沢山の感情を味わえる。

生きる意味がわからなかった自分は、10年近く立っても生きる意味なんてみつかってもないのだけども。

それでも当時の自分に今の自分を見せた時に、「かっこいい大人のカテゴリーに入る人だな」と思われるくらいの状態にはなっているんじゃないかなとは、考えられる自分にはなれている気がする。

変に頭が良い人ぶらずに、「今ここ」の人生に集中して行くこと。

この大切さが30手前になって、ほんの少しだけ分かった気がしています。

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