勉強したくないのに勉強が出来る小学生の君へ

子供の頃、勉強することがとにかく嫌だった。

あれは小学三年生の頃だろうが、学校の下校途中、三人で並んで帰っている最中に友達が勉強が好きじゃないって話をしていたから「俺も勉強好きじゃないよ。得意ではあるけども」なんて話をしたことを覚えている。

勉強してて楽しいと思ったことはない。

テストでいい点を取れば周りが、親が、先生が褒めてくれる。

周りからの目も悪いよりかはよい風に見てもらえる。

だからやっていただけに過ぎない。それに小学校時代のテストは控えめに言っても難しいと思ったことはなかった。

本当に要領がいい天才みたいな頭の良さはなかったと思うけども、それなりに点数を取るくらいの要領の良さは持っていたのだと今でも思う。

僕は自分の思いを口にすることがあまりに少なかったからその当時は自分のことを理解してなかったのだけど、今思い返すと、僕は勉強じゃなくてとにかく遊ぶことが好きだった。

それを押さえつけて、周りの目ばかり気にして勉強ばかりしていたことは、正直にやるべきではなかったことだと、今になって深く反省している。

テストの点数を取るための勉強しか、僕はやってこなかった。

勉強は「テストの点数」を取るためじゃなくて、本来は「自分のやりたいことや好きなことを成し遂げる為」に行なうことだ。

さっきも言ったけど、僕は勉強自体は好きじゃなかった。ただテストの点数を取るのは多少なり優越感にも浸れたし、周りも喜んでくれるから別にテストの点を取ることは嫌いではなかった。

その中でも好きな教科は理科と算数だ。

理科もそうだけど、特に算数は「公式」を覚えればいいから、勉強仕方が楽だった。公式さえ覚えておけば、後はテストのときにはその公式を利用して問題を解くだけ。

ある意味力試しみたいな感覚があって、算数のテストは割と好きな部類だったと思う。

反面、嫌いだったのは「漢字」と「社会」。

当時歴史小説好きの父親にならって、小説が好きだった僕は漢字を読むことは出来たけど書くことが出来なかったし、そもそも漢字を書くことの必要性を感じていなかった。

社会に関しても同じで、とにかく出来事を覚えることが僕は嫌だった。「暗記」をする事自体に自分のレベルアップを感じなかったし、とにかく「覚えること」が増えること自体を嫌っていたように今は思う。

そんな子供だったから、とりあえずテストの点は取ることは出来たし、テストの点を取るのが好きな算数に関しては成績はクラスでトップクラスだったのだけど、根本である「勉強が嫌い」という点は何も変わっていなかった。

勉強は嫌いなんだけども、嫌いな勉強をすればするほど喜ばれる。そんな勉強をしないといけない世界に段々嫌気が指していたようにも思う。

だけども、周りの人たちは僕が勉強をしてテストの点数を取れば取るほど喜んで、期待をした。今思い返しても「勉強をする理由」はテストの点数を取るため。でしかなかったように思っている。

本来は勉強は自分が好きなことややりたいことを達成するために知識をつける行為ってことに気がついたのは、僕は大人になってからだった。

勉強したくないのに、勉強しないといけない世界

そして僕は10歳の頃、小学4年制のときに初めて人生に絶望を感じてしまった。

というのも、僕が勉強をしてテストの点を取ると、周りの人たちはみんな喜んでくれたのだ。

それはよかったのだけども、僕は自分が強く「遊びたい!」と主張することもなかったから、勝手にそれをプレッシャーに感じてしまって、勉強しか自分の存在をアピールすることができなくなってしまっていた。

僕は勉強は嫌いだ。本来であればやりたくない。楽しくないことだった。

だけども僕が勉強をすると周りの人は喜んでいる。

僕が遊びまくってゲームばかりしていたら、周りの人は喜んではくれない。

自分がやりたいことをやると周りの人は喜んでくれなくて、やりたくないことをすると周りの人は喜んでくれるんだ。

「あれ・・・それじゃあ僕がやりたいことや遊びってやればやるほど周りの人は喜んでくれなくて、やりたくないけども得意なことをやっていくことが人生なのかな??」

そんな事を僕は思ってしまい、やりたくもない勉強をし続けることを選んでしまった。

今思えば、これは間違った考えだった。遊びたいならば遊べばよかったし、遊ぶことで周りも喜んでくれるくらい遊びに没頭していたら、僕は遊びの天才になれたかもしれない。

仮にそうじゃなかったとしても、遊ぶことを押し通せば、この後の人生で歪むような道には行かなかったろう。

別に今の人生に不満があるわけではないのだけども、それも一つの輝かしい可能性だったと思う。

僕は、勝手に回りが勉強をしないと周りは喜んでくれないと自分を追い詰めて、「この世界はやりたくないけど得意なことをやったほうがいいつまらない世界なんだ」と勝手に絶望を感じてしまっていた。

遊びたいならば、とにかく全力で遊びたいと伝えればよかった。

そうして10歳の頃に絶望を感じてしまった僕は、絶望を感じながらも我慢して勉強を続けていった2年後、性格が歪んでしまって「どうせどれだけ勉強してももっと勉強しなさいって言われるなら、むしろ才能なんてなければよかったのに」

と考えてしまうような自分になり。

その1年後には「生きてることすらつまらなくなって、自殺未遂を起こすような自分」になってしまった。(本当は死にたいのではなくて勉強したくない、遊びたい。という心だったから自殺は未遂だけで出来なかったです)

自分が招いたことなんだけども、それでも本当にその当時は辛くて、生きている事自体が楽しくなくて、とにかくつまらなかった。

何が間違っていたのか?というのはわかっていて。

僕は自分自身がやりたいことを「やりたい!!」と大きな声で大事な人に何度でも伝えることをしなかったのが間違っていた行動だった。

遊びたいならば遊びたいといえばよかった。

本当にそうしたいならば、とにかく主張して話せばよかった。

仮に「勉強しないとだめ!」と言われるのならば、なんで勉強しないとだめなのか?なぜ僕がこれだけ遊びたいと話しているのに遊んではいけないのか?徹底して聞けばよかった。

自分自身の「やりたい!」を無視せず押し殺さず、正直に伝えて、やりたいことをやろうとするチャレンジが少なすぎた事が本当にもったいないことだったと思っている。

周りの人は自分のやりたいことや想いを言わずとも汲み取ってくれるなんてことは殆どない。

もしそんなことがあるのだとしたら、それは本当に相手は素晴らしい人で、沢山感謝をしたほうが良い。心は見えないものだから、頑張って口から伝えないと大切な人だろうと伝わらないのが当たり前なんだ。

その意識が、僕には何よりも足りてなかったことだったと思っている。伝わってほしい、知ってもらいたい。汲み取ってもらいたい。とずーっと受け見でいた結果、勝手に回りを敵にして、一人の世界に閉じこもってしまっていた。

自分自身がなにをやりたいのか?をちゃんと考えて、それをやろうとする努力。

その為に人や自分を向き合うことが、当時の僕は全く出来ていなかった。

勉強は悪いことじゃない、だけども自分の「やりたい」の心を一番大切にしよう

月並だけど、今の僕が当時の自分に戻ったら、なにをやりたいだろうか?とは考えてみる。

きっと僕は遊びたいと父さんと母さんに伝えるだろう。

友達にももっと遊ぼうと伝えると思う。

ゲームもいっぱいするし、漫画もいっぱい読む。

そしてゲームや漫画を沢山買ってもらうにはどうしたらいいのか?を母さんや父さんに相談すると思う。

その結果として勉強をすることを提示してきたならば、勉強するとなぜ良いのか?を教えてもらうし、自分がそもそも「勉強が好きじゃない」ってこともはっきりと伝える。

勉強が必要だとしたら「どうやったら勉強が好きになれるのか?」を一緒に考えてもらうのもありだ。

確かに「テストの点を取る為」だけの勉強はつまらないけども、勉強をすることで、女の子から持てて、将来的にめちゃくちゃ遊びまくれるようになるならば、少しは勉強する気になるのかもしれない。

勉強をして、知識をつけるというその経験が将来的に物凄い役に立つという話を聞けたら、多少なり勉強が自分を鍛える良い行為として好きになれるかもしれない。

自分の「やりたい!」を大切にするために、当時の僕に出来ることは本当に沢山あったと思っている。

湧き上がってくる感情に「嘘」なんてものはない。

やりたいと感じたことはやりたいことだ。

たまに興奮状態に入って人は勘違いしてしまうこともあるけども、それでも「やりたい」という気持ちは大切に覚えておこう。

自分の為にも、そして周りの人のためにも自分自身が我慢を重ねることだけはしないようにしよう。

本来、周りの人は大切な人ほど、あなたの幸せを願っている。

あなた自身が我慢をしてもあなたは幸せにならないし、あなたが幸せにならなければ周りの人が幸せになることも少ない。

勉強が嫌いだけど、勉強ができるという君はきっと頭がいいのだろう。

それならばきっとわかるはずだ。

本当に欲しいものは我慢をして得るのではなくて、知恵を行動を積み重ねて得られるものだということを。

自分の中の「やりたい!」という心を何よりも大切にして生きていってもらいたい。そうすれば生きていることがどんどんどんどん楽しくなる。

だって、やりたいことがどんどん出てくるし、どんどん出来る人生になっていくのだから。

今の僕も、子供の頃出来なかった「やりたい!」という心を大切にすることをお、大人になった今、改めてやり直している最中だ。

やりたくないことで多少なり結果を出せる君は、本当にやりたいことならばとてつもない結果を出す才能を秘めていると、心の底から信じている。


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